代表のストーリー
プロローグ
私は約20年、様々な業界の色々な制作物を手がけてきました。
その積み重ねが「伝わる仕組み設計士」としての今の私を形づくっています。
安心・安全な食を囲んで育った、子ども時代。
幼少期から図工が好きで、進学した美術短大で出会ったグラフィックデザイン。
家庭の事情で約10年の遠回りを経てようやくたどり着いたデザインの現場で、案件に追われ、修正を重ねた日々。
制作物だけでは、安心・安全な食材の生産者の想いを伝えきれない──
そんなもどかしさから、ベンチャースピリットをもとに、すべてを手放して東京から島根県へ移住。
デザインの“伝える”から、想いと価値を届けるための“設計力”を身につけたく、関東に戻ってのマーケターインターン──
このストーリーは、私がどのような経験を経てSTARMEDIAを立ち上げ、いまどこへ向かおうとしているのか──その軌跡です。
目次
00|伝わらない想いを、光に変えるために。
起業の原点にあった願いも、商品のために積み重ねてきた努力も、そのままでは届かないことがあります。
写真を工夫しても、言葉を尽くしても、どれだけ想いを込めても、 「どうしたら伝わるのだろう」と悩み、立ち止まってしまう日々。
「もっと多くの人に知ってほしい」
「本当に良いものなのに、なぜ伝わらないのか」
そんな胸を締めつけられるような悔しさを、あなたも味わったことがあるかもしれません。
だからこそ、私は「伝わる仕組み」を設計します。
想いが光となり、価値が星のように輝きを増していくように──
その道筋を描き、クライアントと伴走することこそが、私の使命です。
気がつけば約19年。
数え切れないほどのデザインを通して、価値を形にし、想いを光に変える仕事を続けてきました。
けれど、この道の始まりは子ども時代からでした。
──幼少期の食卓、そして短大の教職課程で出会ったグラフィックデザインから。
01|安心な食で育った子ども時代
私の原点には、「食卓」があります。
幼少期から当たり前のように並んでいたのは、無農薬や有機栽培の野菜や、無添加食材。
母の「安心できる食を大切にする」という想いに支えられながら育ちました。
だから私にとって、食は「お腹を満たすもの」以上の存在です。
体をつくり、心を支え、家族をつなげるもの。
そして「安心・安全」は、誰かの暮らしや未来を守る、ひとつの価値だと知っていました。
当時はまだ、それがデザインの道へつながるとは考えもしませんでした。
けれど、無意識のうちに私は「本当に大切な価値が届いてほしい」という想いを、食卓から学んでいたのだと思います。
だからこそ、のちに農業の現場で感じた現実は、私の価値観を変えたのでした。
02|短大の教職課程で出会ったデザイン
幼少期から、絵を描くことが好きでした。
小学生のとき、交通安全ポスターで金賞を受賞したことがきっかけで、さらに夢中になったことを覚えています。
図工の時間は、いつも心が弾む特別な時間。
高校では油絵を学び、「美術の道に進もう」と決めて、美術短大へ。
そのなかで講師を目指して選んだ教職課程で、
出会った科目が──グラフィックデザインでした。
油絵とはまったく違う、けれど、どこか通じるものを感じる、新しい表現の世界。
紙の上に並ぶ色や形、フォントや余白のバランスなど、学ぶほどに今までにないおもしろさと可能性を感じたのです。
初めてグラフィックデザインに触れたその瞬間。
「これだ」と心が大きく揺れたのを、今でもはっきりと覚えています。
03|家庭の事情で遠回りした日々
短大を卒業しても、すぐにデザインの道へ進むことはできませんでした。
家庭の事情があって、別の仕事に就くしかなかったのです。
けれど、どんなに違う仕事をしていても、心の奥にはずっと同じ想いがありました。
「私はデザインがしたい」──
その気持ちは、ずっと胸の中にありました。
十年近くの月日が流れ、まだ未経験でも応募が可能なギリギリの二十代後半になったとき。
私はようやく、デザインの世界へ踏み出す準備を始めました。
個人デザインスクールに通い、少しずつ形を整えていく日々。
長く待ち望んでいたスタートラインに、ようやく立ちました。
04|ポスティング用チラシから始まった第一歩
20代後半。
未経験から飛び込んだ会社の制作部では、ポスティング用のチラシ制作がメインでした。
念願の「デザインの現場」だったものの、提出するたびに容赦なく赤字が返ってきます。
「これでは伝わらない」
「考え方を変えて」
デザインだけでなく性格や思考の癖まで正されるような毎日。
悔しさで泣きそうになりながらも、必死に取り組みました。
どうすれば、手に取ってもらえるのか。
その答えを探すように、何度も修正を重ねていく中で、気づけば帰りは終電。
休みの日も、頭の中はチラシのことでいっぱいでした。
「初めて、本気で打ち込んだ仕事」
その経験が、今の私をつくる一歩目でした。
05|限界の向こうにあった、仕事への「好き」
駆け出しの頃に担当した、東京ドームでの某大手企業・社会人野球チームの撮影。
あの2日間は、今でも忘れられません。
撮影者だけが入れる通路を、カメラを片手に端から端まで全力疾走。
初日は撮影が終わる頃には、全身が筋肉痛でした。
「もう明日は無理かもしれない」そう思ったその翌日──
ホイッスルが鳴った瞬間、昨日の痛みは吹き飛んで、気づけばまた全力で走っていました。
撮影が終わった直後、前日よりもっと強い筋肉痛が押し寄せて、しばらく動けなくなりました。
そこで、仕事への集中力で体の痛みを感じなかった事に気が付きました。
「自分はこの仕事が、どうしようもなく好きなんだ」
あの2日間で気がつきました。
その後も、仕事に夢中になって、丸一日ご飯を食べ忘れたことが何度かあります。
そのくらい、ものづくりが好き。
それが、私の原点です。
06|「ありがとう」のために
転職先の大手コンサルティング会社では、目まぐるしく忙しい日々が続きました。
複数の案件が常に並行し、打ち合わせと制作を繰り返す毎日。
気づけば深夜になっていることも多く、静かなオフィスで、黙々と手を動かしていました。
そんなある日、チームプロジェクトで初めての徹夜を経験。
資料と制作物を仕上げ、朝方になんとか納品を終えました。
後日、上司が笑顔でこう教えてくれたのです。
「あの提案、かなり反響があったみたいで、クラアイントがとても喜んでた。
ありがとう、って言ってたよ」
──その瞬間、今までの苦労が全部、吹っ飛びました。
私がこの仕事を続けている理由。
それはクライアントの「ありがとう」
そして、その先にいるユーザーの「ありがとう」のためです。
07|美容・健康、そして食への強い関心
デザインの現場で経験を積むなかで、私は「美容」や「健康」に特化したデザイナーを目指すようになっていきました。
化粧品やサプリメント、エステやサロン──
人の美しさや健やかさを支える商品やサービスには、誰かの切実な願いが込められている。
その願いをどう表現すれば届くのか。
毎日向き合うその問いは、私にとって挑戦であり、喜びでもありました。
けれど、もうひとつ。私の関心を強く惹きつけていたものがあります。
それは、「食べること」
仕事終わりの昼休みや帰り道、
私はよく、わざと通りを変えて歩きました。
「今日はこの道を行ってみよう」──
そうして新しく見つけたお店で、ランチを味わい、店主のこだわりに耳を傾ける時間が、とても好きでした。
食卓の背景には、必ず“つくる人”の物語がある。
そのことに、心を動かされていたのです。
美容と健康、そして食。
一見、異なる分野のようで、そこには「人の身体と心を満たす」という共通の価値がありました。
私はその両方に携わることで、
より広い視点から「どうすれば価値が伝わるのか」を考えるようになりました。
美容案件で培った表現力と、食に向き合う姿勢。
そのふたつが、このあと訪れる大きな転機へとつながっていきます。
08|ベンチャー スピリット
2015年以降、私はずっと、ベンチャー企業の現場に身を置いてきました。
そこは、スピードと挑戦がすべてのような世界。
昨日決まったことが、翌日にはもう覆る。
そんな環境に、私は鍛えられていきました。
部署を越えて新規事業に関わり、チームを立ち上げ──
気づけば、デザインだけでなく採用や現場マネジメントにも携わるように。
眠れない夜も、プレッシャーに押しつぶされそうな瞬間もありました。
けれど、目の前の壁をひとつずつ越えるうちに、自分が少しずつ変わっていく実感がありました。
この頃の私は、「与えられたものを形にする人」から、「事業を前に進めるために、必要なことを形にする人」へと、変わり始めていました。
そして、ベンチャーで育ったこの“突破力”と“スピード感”があったからこそ──
私は、のちに家具も家電もすべて手放し、島根県という、まったく知らない土地へと移住する決断ができたのです。
09|LP制作で見えた“伝えきれないもどかしさ”
ベンチャーでさまざまな案件に携わるなか、私の心を強く揺さぶったのは、食品LPの制作でした。
雑貨や美容商材などの案件も多いなかで、いつしか私は、食品に関わるLP制作に強く惹かれるようになっていきました。
生産者の方々は、誠実に、丁寧に、長い時間をかけて「いいもの」をつくっている。
その背景にある想いを、どうすればもっと多くの人に届けられるのか──
写真を工夫し、言葉を尽くしても、何かが足りない。
「机の上だけでは、もう伝えきれない」──
そんな想いが、日に日に膨らんでいきました。
このままでは、きっと本当の価値には届かない。
現場に行かなければ、知ることのできないことがある。
そのもどかしさが、私を次の挑戦へと導いていきます。
10|家具も家電もすべて捨てて──島根県へ
「もっと深く、生産者の想いを知りたい」
その気持ちは日々ふくらみ続け、私はついに、家具も家電もすべて手放しました。
知人から紹介された、農業とデザインをかけあわせた、減農薬に取り組む農業生産法人の“半農半X”の仕事。
迷いはありませんでした。
暮らしのすべてを手放し、身ひとつで島根県へ旅立ちました。
そこで始まったのは、種まきから収穫、選別&調整(袋詰め)、食品加工、配達や発送まで──
農作業と六次産業化の一連を、自分の手で体験する日々。
朝は畑に出て、土にまみれながら汗を流し、午後はデスクに向かって、チラシやパッケージのデザインを手がける。
そんな“泥と紙のあいだ”の毎日が始まりました。
けれど、同時に目の当たりにしたのは、厳しい現実でした。
11|人手が足りず腐っていく野菜の山
会社の農場では人手が足りず、収穫されないまま朽ちていく野菜が、畑のあちこちに転がっていました。
育ちきったのに、誰の手にも届くことなく、ただ土の上で役目を終えていく──
やがて、それらは“野菜ゴミの山”へと運ばれていきます。
その山に、自分の手で育てた野菜を加えた日もありました。
草を取り、毎日汗を流して育ててきたのに。
喉の奥が詰まるような、悔しさでいっぱいになりました。
「ここまで大事に育ててきたのに。安心安心で、おいしいのに」
その山には、時間、努力、想い──たくさんのものが一緒に積み上がっていました。
12|“持続可能な農業”という問い
形が悪い。サイズが少し違う。
それだけで、市場には出荷できない野菜たち。
たとえ丁寧に育てられた無農薬野菜であっても、規格に合わなければ、道の駅に回されてしまいます。
けれどその道の駅では──
無農薬・有機野菜と、慣行野菜が、ほとんど同じ値段で並んでいる。
生産にかかる手間も、時間も、リスクも、まったく違うのに──
何倍もの工程と手間をかけて育てた野菜が、その価値を価格に反映されないまま、見た目の比較だけで選ばれていく。
私はその光景に、もどかしさを感じていました。
汗を流して育てる人たちの想いが、正当に評価されなければ、持続可能な無農薬や有機農業は本当に難しい。
このままでは、志ある生産者ほど疲弊してしまう。
いつしか、胸の内に芽生えはじめた想いがありました。
「価値や想いが、正しく届く仕組みを、いつかつくりたい」──
その想いが、少しずつ、重みを増していきました。
13|マーケティングという“設計力”
農業の現場を離れることになったのは、不慮の事故がきっかけでした。
階段から落ちて身体を痛めてしまい、農作業を毎日続けることができなくなったのです。
私は再び、デザインのみの生活に戻りました。
京都の業界最大手のWEB広告グループ企業で、島根からリモートで得意なLP(ランニングページ)制作に携わる日々。
その中で、ある“差”に気づきました。
同じように手を動かしていても、LPの成果に大きな違いが出る。
「なぜ自分には、大きな成果が出せなかったのか?」
その答えは明確でした。
“価値を届ける仕組み”の知識の有無──つまり、マーケティング。
価値を創り、届け、育てるプロセスを私は知らなかったのです。
だから私は、その両方を一貫して担うディレクターとして進化する道を選びました。
“伝える力”に、“届ける設計”を掛け合わせるために。
そしてもう一つ。
島根県に移住し、東京との県民性の違いに触れる中で、伝え方は、土地や人によって、感じ方も届き方も変わるのではないか──
そう思うようになり、「県民性を考慮した戦略も立てられるようになりたい」と考えるようにもなりました。
島根での1年半のあいだに、さまざまな事情で3回の引っ越しを経験。
家具や家電も最低限の生活になっていた私は、そのわずかな持ち物さえもふたたび手放し、シェアハウスを転々とすることにしました。
千葉県のシェアハウスでハウスマネージャーとして関東に戻った私は、マーケティングを本格的に学ぶことを決意。
その後、出会った師匠のもとでマーケターインターンを始めることになり、千葉県から、師匠が運営する茨城県のシェアハウスへと住まいを移しました。
戦略、数値設計、導線、ペルソナ、セールスの本質まで──
現場で必要とされる要素を、1年程かけて学び続けました。
デザインは、価値を“伝える設計”。
マーケティングは、それを“届ける仕組み”。
──どちらか一方だけでは、価値は届かない。
だから私は、その両方を学びました。
こうして私は、デザインとマーケティングを一気通貫で、手がけるディレクターへと進化していったのです。
14|“伝える設計”が、価値を動かす
マーケティングを学びながら、UIデザイナーとして、大手金融企業のWeb改修プロジェクトにも携わりました。
そこでの日々は、「どうすれば迷わず使えるのか」「どうすれば誤解なく伝わるのか」などを、常に考え抜く時間でした。
それはやがて、UIにとどまらず、マーケティングやデザインの本質にもつながっていきました。
UIとは、迷わず使えて、誤解なく伝わること。
どこを押せばいいのか、どう操作すればいいのか──
誰が見ても直感的に理解できるよう、情報を整理し、導線を描いていくことです。
一方で、マーケティングは「売れる仕組み」をつくること。
誰に、どんな価値を、どんな方法で届けるのか。
その流れを戦略的に設計し、心や行動が自然と動く仕組みを整えていきます。
そしてデザインは、伝えたい想いや価値などをかたちにすること。
「どんな表現で、どう届けるか」を、見た目だけでなく構成や言葉まで含めて組み立て、想いや価値を届けます。
デザイン × 言葉 × 構造 × UI × 導線──
これらを分業せず、一貫して設計すること。
それによって「伝わる」だけでなく、「届き、行動が起きる」仕組みが生まれます。
15|クライアントと共に、成果をつくる
私の仕事は、“伝える”だけにとどまりません。
“伝わる”までを見据えて、構造そのものを設計すること──
それが、伝わる仕組み設計士としての私の役割です。
感性だけでも、理論だけでも、価値は届きません。
その間をつなぐ設計力こそが、私の仕事の軸となっています。
この設計力は、ブランドやマーケティングの戦略にも、一貫性と再現性をもたらします。
そして今、それはクライアントと共に価値を育てていくための、確かな土台になっています。
SNS広告やブランド立ち上げ支援などの案件では、ビジュアル表現にとどまらず、誰に・何を・どう届けるかという視点で構造や導線まで設計。
クライアントと共に“成果の生まれる仕組み”を構築していきます。
「つくって終わり」ではなく、届けたい価値が、きちんと届き、行動につながるまで、共に向き合い、伴走する。
それが、私の実務におけるスタンスです。
16|気がつけば19年
気がつけば、この道を歩み始めてから19年が経っていました。
制作してきた案件は、累計で16,000件以上。
共に歩んだクライアントは、300社を超えます。
その内容は、紙媒体からWeb、広告、UI改善、展示会設計、さらには国会議員の手帳制作まで──
ジャンルも業界も幅広く、領域の垣根を超えて取り組んできました。
毎日が違う課題、違うストーリー。
「今日も新しい挑戦がある」そう思えることが、私にとって何よりの楽しさでした。
飽きることは一度もなかった。
むしろ、クライアントの想いに触れるたびに、自分の視野が広がり、考え方が深まり、私自身が成長させてもらっている──そう感じる日々の連続でした。
気づけば、デザインの領域にとどまらず、構造設計やマーケティング、ブランド戦略、制作ディレクションへと、仕事の幅も広がっていきました。
でも、根っこにある姿勢は、ずっと変わっていません。
どんな案件であっても、想いをすくい上げ、価値に光を当てて、ちゃんと“届く形”に設計する。
その姿勢こそが、19年という歳月を通して育まれてきた、私の仕事の軸です。
17|STAR MEDIA創業
2024年。
これまでの歩みの中で育まれてきた想いを束ねて、私は【STAR MEDIA】を創業しました。
屋号に込めたのは、ひとつの願いです。
想いは光に。価値は星になる。
想いは、言葉と順序を得て初めて、光のように輝きはじめます。
価値は、届ける相手と文脈を持つことで、星のように輝きを増していく。
けれど、それらが自然に届いていくためには、丁寧な“設計”が欠かせません。
誰に、どんな流れで、どんな形にすれば届くのか。
その全体像を描き、“伝わる体験”へと変えていくこと。
それが、私の仕事であり、STAR MEDIAの役割です。
STAR MEDIAは、クライアントやプロダクト、そして人の中に眠る本質的な想いに光をあて、価値として社会に届けるための“仕組み”を、一緒につくっていく存在です。
言葉やデザインの奥にある、努力や願い、挑戦や情熱までもすくい上げ、 “本質”を見つけ、整え、“伝わる仕組み”へと落とし込んでいく。
「伝えたい」と願う気持ちに寄り添いながら、その価値が未来へとつながるように──共に考え、歩み、かたちにしていく。
クライアントの想いが光になり、価値が星になるように。
STAR MEDIAは、その設計と伴走のパートナーです。
18|MISSION - ミッション -
Creating value in line with the times
時代に即した価値を創造する
社会が大きく変化し続ける今、価値あるものが“選ばれる理由”も、日々変わり続けています。
昨日まで「当たり前」だった価値観が、今日はもう通じない──
そんな時代だからこそ、届け方も、伝え方も、今に合わせて再設計する必要があります。
だから私は、クライアントの想いをただ「表現」するのではなく、「今、この時代に必要とされるかたち」へと
“翻訳”することを大切にしています。
その翻訳には、順序があります。
まず想いを言語化し、それを構造として整理し、視覚的に可視化していく。
そうすることで、初めてその価値は社会に届き、未来へとつながっていきます。
どれだけ想いや技術が優れていても、いまの時代に沿った“届け方”でなければ、必要な人の心には届きません。
逆に、伝わる構造が整っていれば、その価値は、きちんと届き、人の行動を生む力になります。
これからの時代に求められるのは、一時的な流行ではなく、社会や人の変化に応じた“軸”を持って、価値の本質を見極め、その届け方を再構築する力です。
私たちはその軸を、言葉・構造・体験設計のすべてに通すことで、戦略にも制作にも、一貫性と再現性を持たせていきます。
想いを見つけ、価値を整え、今という時代に合ったかたちで、未来へ届けていく。
STAR MEDIAは、価値と想いを“光”として届けるための存在です。
クライアントも、商品も、自分自身も──
それぞれが持つ本質的な価値が、星のようにつながり、未来を照らしていけるように。
それが、STAR MEDIAの掲げるミッションです。
19|未来へつなぐ、想いのかたち
まだ言葉になっていない想いがあります。
まだ光が当たっていない価値があります。
まだ届いていない努力があります。
だからこれからも、現場に足を運び、声に耳を傾け、手を動かしながら、「どうすれば届くのか」を一緒に考え、形にしていきます。
必要な人に届き、心を動かし、行動を生む仕組みをつくる。
それが、「伝わる仕組み設計士」としての、私の使命です。
“伝わらない”という課題を、デザイン × 言葉 × 構造 × UI × 導線。
これらを分業せず、一気通貫で設計していくこと。
それが、これまでも、これからも、私が届けたい「伝わる仕組み」です。
その想いを胸に、これからも一つひとつの声に耳を傾けながら、STAR MEDIAは歩み進み続けていきます。
